今日の出会いは「カリグラフィー」それもイスラム教コーランが書かれたものである。
以前、西洋のカリグラフィーの教室に通ったことがあり、いわゆるアルファベットのイタリック体、ゴシック体等は日常生活のなかで割と目にするので当たり前な感じだったのだが、イスラムのそれは文字自体(字体)の面白さと模様のような美しさがあり、その存在すら知らなかったため嬉しい発見だった。
シンガポールへは以前にも来たことがあったので、うろ覚えの記憶を頼りに地図もガイドブックもなしに「駅に案内が書いてあるだろう」と思ったのが甘かった!観光地シンガポールでもそれほど綿密にインフォメーションがあるわけではなく、人に「ラッフルズホテルへはどうやって行くんですか?」なんて聞くのもいかにも「おのぼりさん」みたいでカッコ悪かったので適当にラッフルズプレイスで降りてしまったというのが実状なのだが、降りた所は金融街。シンガポールのウォールストリートって感じのエリアで、もちろんラッフルズホテルの案内もなかった。
しかし川沿いに見慣れた景色が…!そう、以前泊まったホテルの近くクラーク・キーの風景が向こうに見えたのよ!(ちょっと安心)そしてその手前になにやら歴史を感じさせる小奇麗な建物が!これはきっと博物館か何かになっているに違いない!と目論んで「ホテルなんか前にも行ったしヤーメタ」と行先変更。橋を渡ったらそこは案の定「Asian civilisations museum」だった!!!
(今日はデジカメを持っていなかったので建物も素敵だったのに載せられなくて残念。「ビジターガイド」の文字の下の写真が建物)
<神坂雪佳>
神坂 雪佳(かみさか せっか、慶応2年(1866年)1月12日 - 昭和17年(1942年)1月4日)は、京都で活躍した日本画家・図案家。本名、吉隆。
御所警護の武士・神坂吉重の長男として京都栗田口に生まれる。1881年、16歳で四条派の日本画家・鈴木瑞彦に師事。のちに装飾芸術への関心を高め、1890年に図案家・岸光景に師事し工芸図案を学ぶ。この頃から琳派の研究を始めた。1901年に各国の図案調査を兼ねて、英国グラスゴー万国博覧会の視察のために渡欧。当時のヨーロッパではジャポニズムが流行し、日本美術の影響を受けたアール・ヌーヴォーが花開いていた。そこで日本の優れた装飾芸術を再認識したという。琳派に傾倒し、デフォルメ・クローズアップ・トリミングを用いた大胆な構図や「たらしこみ」の技法など、琳派の影響を受けながらもモダンで明快な作風である。染織や陶芸・漆芸など暮らしを装う工芸品の図案も積極的に行った。蒔絵師の神坂祐吉は雪佳の実弟で、雪佳が図案した作品も多い。
2001年、エルメスが発行する雑誌「LE MONDE D`HERMES」の表紙を飾った。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%9D%82%E9%9B%AA%E4%BD%B3" より
へぇ~、シンガポールにはこんな博物館もあるんだね!
返信削除お気楽マダムはカリグラフィー好きだもんね、
イスラミック・カリグラフィーって、知らなかった
けど、素敵だね!♪
私も写経とか、こういうの好きだから、書き出したら
止まらなくなりそう。。。
っでしょう?
返信削除U☆Kだったらセンスいいから、きっと素敵なの書けるよ!
それから、この博物館に以前U☆Kが買っていた「マーブル模様」の作り方の展示してたよ!もう、作ってみた?