2009年2月27日金曜日

キカイに支配されないゾ!的なつれづれ

 仕事を通してパソコンのお世話になること20年近く。
 近年では、プライベートでもかなりお世話になっている。 
 メールやこのブログ、インターネットでの情報収集・ショッピングなど、かなりの便利さを感じることは否めないのだが、長時間「キカイ」に向かっているとどーも心がカサついてくる感じがする。
そうなったら、おもむろに電源を落とし、静かな音楽など聴きながら窓の外の景色を眺めたりしてぼんやり過ごすことにしている。

メールも確かに相手の都合を考えずに時間を選ばず、かつ、約束の内容などをデータとして残せるという面では便利なのだが、日本語を操る民族としての限界を感じることがしばしばあるので、「気持ち」を伝えたい時はなるべく手紙や電話、できれば直接会って(なかなか時間的に難しのだが)伝えたいと思っている。
 日本語というより、日本語の使い方というか文化なのだが「本音と建前」が往々にして存在することは否めない。それゆえ察しが悪かったり、反対にその言葉が丁寧であればあるほど「いらぬ勘ぐり」をしていまい、誤解が生じてしまうことがある。メールで意思を伝える場合、敬語の使用よりは口語の、それも親しみを込めた口調を使った方が感情が伝わりやすい。それでなければ、表情を読み取るために直接会って、いわゆる「空気を読む」か、せめて電話での声の感じから「察する」しかないのである。
 コミュニケーションのツールとしての「言葉」の日本語の他の言語との明らかな違いは、本来の意味に微妙なニュアンスを伴ってそれを複雑にしていることである。
 そしてそれが日本人の「美意識」でもあるところに私も共感するところがあるからこそ、この言語を否定しきれないのである。
 しかしながら、「バカ」の付くくらい正直者の私?は、大人になって久しいはずなのに言葉をその本来の意味でしかとらえられないでいる。…なのに、その「裏」の存在を知ってしまっているから、「ほんとにそのまま受け止めてしまっていいの???」と、「???」が頭の中をめぐることしばしば。ほんとに日本語ってムズカシイ!そんな時は「私はアメリカ生まれなんだ!」と自分に言い聞かせて素直に受け止めることにしている(ほんとは純日本産)。皆様、私にはストレートに何でも伝えて下さいっ!

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